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おたより
Letter

園だより

子供を信じて叱り、明るく励ますことの大切さ

子供は、いつも大人の願いや期待にこたえてくれるとは限りません。

この前、ある保育園でオペレッタの指導をした時のことです。私が、生き生きと動いて他の子をリードしてくれるだろうと思っていた子は、「ぼく、今日は見てる。」と座り込んでいました。私が励ましても動こうとしません。他の二人の子は、自分たち同士でふざけて遊ぶのが楽しくてたまらないようで、オペレッタの世界には入ってきませんでした。

ふざけている子は叱らなければなりませんが、そのことで二人が表現することが嫌いになったり、その場が暗くなったりしては困ります。私は、だめなことはだめとはっきり言いながら、自分自身がオペレッタの世界の楽しさを感じつづけ、子どもに伝え続けることに持っているエネルギーを出し切りました。そしてチャンスを待ちました。なぜか座り込んでいた子は「スイミー」で全員が1匹のうなぎを作る場面でようやく「ぼくが先頭になる」と言って入ってきました。そのころからようやく場が一つになり、ふざけていた子も入って全員でうなぎを作ることができました。充実した時間といえるようなものではありませんでしたが、何とかその場を支え続けることはできたと思います。

そんな経験をしたすぐ後に、肥後功一さんという、保育の研究にもかかわっている心理学者の、次のような文を読みました。(「育ち合うことの心理臨床」より)

・・・親が子供を叱る時、子どもは親の「言うこと」(=歌詞)だけを聴いているのではありません。子どもがそれよりもっと気にして聴いているのはお母さんの「歌」です。お母さんは、いまぼくを好きなのか、信じてくれているのか、それとも嫌いになってしまったのか、そんなことをお母さんのメロディの中に感じながらお母さんのことばの歌詞(言っていること)を聴いているのでしょう。保育者も含めて、おとなが子供を叱る時に最も大事なことは、このメロディの統制です。私たち自身が、子どもを信じながら叱っているかどうか、それが子どもに伝わります。どんなに厳しく叱らなくてはならない時でも「きっといつかわかるはずの君に向かって話す」ということを忘れないでいただきたいのです。・・・

肥後さんは、子どもに向かって話す言葉の内容を「歌詞」その時の声や抑揚を「メロディ」と表現しているのでしょう。「きっといつかわかるはずの君に向かって話す」ことはとても難しいけれど、すごく大事なことだと思います。

子どものメロディを聴く

大人が子供に話す時の「メロディ」が大事だと肥後さんは書いていますね。私は、同時に、大人が子どもの「メロディ」を「聴く」ことも大事だと思います。

私は、リズム表現の始まりに、子ども一人一人の名前を呼びます。これは、出席を確認するためではありません。自分の名前が呼ばれるのを聴き、それに応えることは、表現の大事な第1歩だと考えているからです。子どもが私に応えると、私は「きれいな声だね。」とか「いい声だね。」とか「元気な声だね。」とかいう言葉でまた子どもに応えます。その時、本当に子どもの声を聴き、感じていることが大事なようです。「いい声だなあ。」と思ってそういうと、素直にうなずく子もいます。

返事は「はい。」だけだから「歌詞」は当然1種類ですね。でもどんな表情でどんな声を出すかには、子どもの個性やその時の気持ちが反映されます。それが「メロディ」だと思います。

そう考えると、メロディが大事なのは普通の会話も同じですね。歌詞とメロディの両方があって歌が成り立つように、子どもの言葉も言っている意味と音調の両方を聴くことで初めて子どもと本当に交流できるのではないでしょうか。

肥後さんの言う「歌詞とメロディ」は「聴く」ことだけでなく「見る」ことにも広げられるような気がします。子どもが「ブロックをして遊んでいる」「折り紙をしている」「おやつを食べている」というのは、歌詞です。その時子どもがどんな目で、何を見て、どういうからだの表情でいたかが、メロディにあたるのではないでしょうか。歌詞だけでは味気ないし、メロディだけでは意味がわかりません。歌詞とメロディの両方を聴き、見ることで、もっと子どもの世界を豊かにとらえられるような気がします。

10月の行事予定

お知らせ

座喜味保育士が、11月1日(水)から産休に入ります。よろしくお願いします。

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