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園だより

たった一度の誉め言葉で・・・  ~死刑囚「島秋人」の人生~

「3年B組金八先生」という番組をご覧になった方は多いと思います。武田鉄矢が扮する中学校教員の坂本金八先生とその生徒の間で繰り広げられた学園ドラマです。金八先生は、担任している3年B組の生徒に関わる様々な問題に体当たりで対処していき、生徒はその姿に心を動かされ、それぞれに人間的な成長を遂げていきました。視聴する側も考えさせられるような場面が多かったです。また、心打たれ涙なくしては見ることのできない場面も多かったように思います。

ずいぶん長い間続いた番組だったなとは思っていましたが、調べてみると1979年(昭和54年)から2011年(平成23年)までの32年間、全8シリーズにわたって放映されていました。その中で私が心に特に残っている場面は、生徒が短歌を作って発表するという授業(第5シリーズ第10話)の模様です。

授業は、それぞれの短歌が匿名で紹介され、歌に込められた作者の思い・気持ちを考えあう合評形式で進められました。活発な意見交換がなされ大いに盛り上がっていましたが、最後に紹介された歌を聞いた途端、それまでの雰囲気は一変し、重くどんよりとしたものになりました。その歌は「友を恋い 人を恋いてなお 死にたき吾を いかに説き伏せむ」というもので、不登校中である市村篤(内田祐介)がEメールで送ってきた歌であることはクラス全員が分かりました。

金八先生はこの時、死刑囚の島秋人が作った短歌集「遺愛集」の中から次の一首を紹介し命の貴さを切々と生徒に訴えました。その歌とは「土ちかき 部屋に移され処刑待つ ひとときの温き いのち愛しむ」です。島秋人はこの歌を詠んだ翌朝に処刑されています。金八先生は、島の歌の「いのち愛しむ」を取り出し「簡単に『死にたい』などと口にしてはいけない。命を大事にしてほしい。そのような言葉を使った友達を励ましてください」と迫力ある語調で話しました。私は番組が終わった後、死刑されるのを待つ身である島秋人がどうして短歌を作るようになったのか、歌集が出版されるようになったのかなど、その生き様が気になり、早速「死刑囚島秋人」「遺愛集」を購入し読んでみました。

 
島秋人(本名:中村覚)の生い立ち
島秋人(本名:中村覚)は、昭和9年に現在の北朝鮮で生まれた。父親は警察官だったが戦後に公職追放の目に遭い、一家は貧しい生活を送った。結核を患っていた母親は、秋人やその弟妹に食べさせるため、自分は食べる物も食べず栄養失調で亡くなってしまった。秋人自身も、脳膜炎や蓄膿症などを患い、そのためか学業は振るわず成績は常に最下位。教師やクラスメイトから「低能児」と呼ばれ、0点を取ると教師に棒で叩かれるなど疎んじられ、やがて性格はすさんでいき中学卒業後から転落人生が始まった。
中学卒業後に就職したが、一つの仕事が長続きせず職業を転々とし、やがて生きる力を失ったのか自殺願望をもち刑法犯を重ね特別少年院に入れられてしまう。20歳に退院するも空き家を放火し、またもや服役。刑務所で「ヒステリー性性格異常」と診断され、出所後は精神病院に4か月ほど入院することとなった。病院を退院後、家族の下で生活を始めたが、後に家出し放浪生活に入った。昭和34年の秋の雨の夜、新潟県で飢えに耐えかねて農家に押し入った際、現金2,000円や時計などを窃盗したうえに、事件の発覚を恐れ農家主人を殴打して重傷負わせ妻を絞殺した。数日後に逮捕された。
昭和35年、裁判所は「前科と服役の前歴がある上に殺人事件を起こし情状酌量の余地はない」として死刑を言い渡し昭和37年に死刑が確定。昭和42年に死刑が執行された。

こんな凶悪な犯罪を犯した島秋人が、どうして短歌を詠むようになったのでしょう。その背景には吉田好道と言う中学校の先生の一つの誉め言葉がありました。

島は獄中で死刑を待ちながら、人から愛されたことのない、一度も誉められたことのない人生を振り返った時に、たった一度だけ自分を誉めてくれた人を思い出します。中学校の図画の吉田先生です。先生から「君は絵は下手だが構図が良い」と誉められたことを思い出し、先生に感謝の気持ちや自身の現状・想いなどをしたためた手紙を送りました。吉田先生は奥様にも読んでもらいました。手紙には「自分の事を振り返ると人から誉められたことは一度もなく、いつも低能だ、馬鹿だと言われて過ごしてきたが、先生にたった一度誉められたことがある。自分の一生のうちその一度だけだった。先生の絵が見たくなった」という趣旨のことが書かれてありました。

先生は早速返事を書き、自分が描いた絵と子どもの絵を3枚ほど添えて送りました。後日、島から丁寧な礼状が届き、それには3首の俳句が書かれてありました。短歌を詠まれる先生の奥様は、島に自分を見つめながら歌を詠むことを薦める返事を書き短歌の本も送りました。そこから島秋人と吉田先生夫妻との短歌交流が始まるのです。奥様からの「新聞の歌壇に投稿したら」という勧めもあり、島は毎週投稿するようになります。やがて入選を繰り返すようになり「短歌を詠む死刑囚:島秋人」として知られるようになりました。島の歌を集めた「遺愛集」は、彼の歌に感銘を受けた前坂和子という方が編集し死刑執行後に出版されたものです。この歌集の中には、島の悲しさ、寂しさ、苦しさ、侘しさ、後悔・懺悔の気持ちなど複雑な思いが込められた歌が多く掲載されています。その中で、吉田先生から誉められたことが忘れられなかった気持ちを歌った歌を紹介しましょう。

ほめられし ひとつのことのうれしかり いのち愛(いと)しむ 夜のおもひに
ほめられし 事くり返し憶ひつつ 身に幸多き 死囚と悟(し)りぬ

今、子育てをする上で子どもに自己肯定感を育むことが大事と言われています。自己肯定感とは「自分は生きる価値のある人間なんだ」「誰かに必要な存在なんだ」と自分自身を肯定できる感情のことです。自己肯定感が高い子は自信を持って何ごとにも挑戦する子になります。低い場合は劣等感を抱いてしまったり、「どうせ自分なんか…」というマイナス思考に陥って心を病んでしまうことにもつながります。 島秋人は、小さいころから「馬鹿だ」「低能だ」と人から疎外され、一度も愛されたことのない人生を送ってきました。自己肯定感など育つはずがありません。しかし、唯一中学校の先生に誉められたことが支えになり、短歌で気持ちを表現するという秘めていた能力を発揮することができました。もっと多く誉められていたら、違った人生を送っていたかもしれません。

人の生き方をも左右する「自己肯定感」。その土台は就学前までに形成されると言われています。保護者はもちろん、多くの時間子どもに接する保育者などが、この時期にしっかり誉めて、子どもたちの自己肯定感を高めていくことが大切だと改めて感じました。

救急救命法講習

乳・幼児を保育する現場は、子ども達の擦り傷、切り傷、打撲傷はもとより命にかかわるような事故が発生するリスクを抱えています。そこで、日本赤十字社大分県本部より川野さんを講師としてお招きし、救急救命講習を11月14日(水)と18日(土)の2日間に分け職員全員受講しました。子どものけがへの対応の仕方や心肺蘇生の方法などを人形を使って実習しました。どの職員も子どもの安全を願いながら真剣に受講していました。

祝 結婚

おめでたいお知らせです。
角子原園舎の保木主幹保育教諭が、11月4日にめでたく入籍をし「飯村」となりました。
本人の希望もあり、今年度末までは保木でとおしますので、これまでと変わらず「保木先生」と呼んでください。

年末のごあいさつ

園長 羽田野秀典

今年も早いもので1年が終わろうとしています。これまでのご協力に深く感謝申し上げます。

4月に福岡のゆめの森こども園から異動し、環境や保育の内容・取り組み方の違いに戸惑いながらも、「子ども達が明日も来たいと思えるような魅力ある園づくり」をモットーに園運営に励んでまいりました。まだまだ不十分な点ばかりで、保護者の方からご指摘を受けることもありますが、改善すべき点は速やかに改善し、職員一丸となって皆様から信頼をいただけるよう一層努力していく所存です。今後とも格別なご理解とご協力を賜りますようお願いいたします。

どうぞ良い年をお迎えください。

今後の行事

【一陽来復】 22日は冬至。冬至のことを「一陽来復」とも言います。冬至を境に昼の時間が長くなることから、太陽が復活してくる(来復)ことを指しています。このことから、「悪いことが続いた後は幸運がめぐってくる」と言う意味も込められているそうです。

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